修行のススメとスキルアップ --- 2006年5月3日



 いまから20年も前ですが、私も大学を出てから少しばかりの間修行に出ました。修行と云う言葉自体死語になりつつある時代でしたが、別に強制された訳ではないけれどまだ当時の旧木場、新木場、本所の材木屋問屋では保守的な空気があり、また、自分にとっては逆に修行に出る事がカッコイイかなって感じがありました。実際にはカッコイイとはホド遠い現実でしたが。まぁ、修業先の会社にしてみれば『小僧』ですから。
 すでに当時でも若い人材は少なくなっていて、木場内の同業先輩の話を聞き比べてみると先輩の時代とはだいぶ異なり、修業先の会社でも自分は大事に扱われているなとは感じていました。(決して優しくとはチガイますから)
 会社の二階に住み込みで仕事はハードでした。まだ当時では完全週休二日など一部上場の企業のみで、材木業界ではせいぜい第三土曜日が休みになるくらいでした。内地材の丸太を扱う部署では土、日曜日でも入札の準備等で営林署や市場の土場へ丸太の下見をしに朝早くから出かけていました。朝から晩まで1本何十万もする木曽桧の丸太をコロコロ転がし、値段を踏んで番頭さんと単価の擦り合わせをし、入札結果と照らし合わせて相場の感覚を覚えました。外材の丸太を扱う部署では川や海に落ちた事も。製材では撰木役物から並みの野物迄の丸太の挽き方や歩留まり。一般建築から神社仏閣の納材では、現場の大工さんの仕口を盗み見て覚えたり。気が付けば体はマッチョ系に。。。会社の中では事務方の管理の流れを見ていました。
 修行先の会社では僕に「少ない時間で、何を憶えさせるか」というのが、ひしひしと感じられました。もちろん修行に来る『小僧』へのマニュアルなんてありませんし、「これを覚えなさい」と言われる事もありませんでした。少ない時間で特殊な技術を盗み取るなどはとてもムリですが、基礎の中の基礎を教えてもらいました。今から思えば自分の会社に居てはノンビリと過ごしがちで、なかなか覚えられませんし、怒鳴られながらが丁度イイかとも思います。
 怒鳴ってくれる(当時としてはかなりムカついていましたけど)とても良い修業先に恵まれたと思います。何しろ数年間と時間が短いので丸太や木材の見立てや製材等技術的な事もそうですが、強く感じたのは近い将来私が経営に携わる事を見越して、自分がどうしたいのか、何をすべきなのかを教えられました。勿論、口ではおしえてくれません。自分で考えての事ですけど。目で教えられた感じです。
 修行に来る人間は修業先の会社にとって、非常に安価な労働力かもしれませんが、当の本人にしてみれば給料を頂ける学校ですから。本人のやる気次第で安価な労働力か、学校かの違いが生まれると思います。
 今では社会全体が余裕がなくなってしまい目先の事しか考えられないような時代ですが、私の修業先のように人を育てる会社があった事はすごく運が良く贅沢な事だったとおもいます。そして、そのような会社を探すのが難しくなって来ている今、材木業界に限らず自営業で後を継ぐ人達は修行をいやがらず他の会社で経験を積む事が出来ればイイナ、とも思います。できれば住み込みで。しかも大部屋で。 ムリかな?でも楽しかったけどナ。
 修業先の会長、社長、専務、工場長、内地材、外材、納材の番頭さん達。それから可愛がってくれた職人さん達やトラックの運転手さん。川並のおじさん。そして修業先の会社だけでなく、取引のあった会社の社長さん達にもかわいがってくれて、よく飲みに連れて行って下さっただけでなく送別会まで開いて下さいました。
ありがとうございました。
今でもこれからも感謝しております。


…修行から20年が経って

新木場 吉田商店


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材木は曲がる反るクサル。生き物だったから。
コピーペーストできない。同じ物がないから。
ダカラ ヲモシロイ。

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