廃棄木材とバイオ燃料 --- 2007年6月4日



 なにか変だ。天気がここ数年おかしい。うすうす誰もが気づいている事だけど、いまが良ければそれでいいと、なんとか成るだろうと大勢の人が考えてる。
 エコ、リサイクル、環境・・・言葉だけが先行して実態はどうだろう?大学生の頃、友人からノートを借りてコピーを取って勉強した気になっていた。ただノートをコピーしただけで頭に入っていない。形だけの事。勉強しているフリ。だから試験になって頭がまっ白な事に気がつく。痛い目に会ってやっと気がついた時にはもう遅い・・・
 石油の高値が続いている。それに結び付けてバイオ燃料・・・エコ。もちろん間違いではないけど、ガソリンが安ければバイオ燃料なんか注目もされないだろうと思う。
 

+以下引用:日経新聞 2007年5月15日コラム+

 都会の庭園で満開のバラが人の目を奪うころ、日本の山野には香気と精気みなぎる幾多の山菜が顔を出す。深山幽谷、木の下の暗がりに育つモミジガサ(シドケ、トウキチロウ)などはむしろ例外で、ほとんどの山菜は、開けた日当たりのいい斜面で見つかる。
 手取川の上流、加賀白山の山懐で、山菜名人はこう嘆いた。「炭焼きが減ると、山菜も採れなくなる」。炭を焼くために樹木を伐った日が差す場所に、香り高く柔らかな山菜があふれる。ワラビ、ゼンマイはもちろん、たらの芽、アマナ、ヨブスマソウ・・・。十数年でそこは森に戻り、山菜ポイントは別に移る。
 永続的展開する日本伝統の食料と燃料のコラボレーションである。これに比べると、近ごろ世間を騒がしているバイオ燃料の増産に依る食品の値上がりは、おさまりが悪い。人間の食料とすべきサトウキビや穀物のでんぷんと糖をアルコールにして、車に飲ませるのは、当座はしのげても長続きはしそうもない。
 三十年前に石油危機で浮上したバイオ燃料は、食用に向かない巨大な海藻や、砂糖の搾りかすなどの農産廃棄物をアルコールに変える、食とエネルギーの共存を目指していた。その志を継いで、廃材を液体燃料に変える国産技術もある。持続可能性(サステイナビリティー)に与したい。

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 自然では炭焼きが減れば山菜も減る。炭はいらなくても山菜は欲しい。減った分、人工的に余分なエネルギーを使い作り出す。でも・・・
山は荒れ、環境は乱れる。荒れた山は放置されるか、膨大な燃料を使い修復される。どちらにしても環境は悪化する。
 無駄をなくし、廃棄物から燃料に替える事は必要な事だし、これからは重要な分野に成って行くと思う。でも、根本はどうだろう?いくらリサイクルや無駄を省いたとしても、埋蔵資源を使う限り過去に閉じ込めた二酸化炭素は排出され続ける。環境に優しい商品がいろいろ出てきてはいるけど、環境に有益な商品っていうのは見当たらない。ヒトが人である限り、環境はどんどん悪化して行くしか無いのかな。憂いてばかりいてもしかたが無い。まず何かを始める一歩を出さなければ。その答えが埋蔵資源の使用量を減らすバイオ燃料なら、廃棄木材から作られる燃料を使ってみたい。

新木場 吉田商店


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材木は曲がる反るクサル。生き物だったから。
コピーペーストできない。同じ物がないから。
ダカラ ヲモシロイ。

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