本物を使おう。 --- 2001年1月7日
 

新聞を読んでてちょっと気になる記事を見つけたので転載です。


読売新聞 2001.1.7 日曜版 奥本大三郎の『浮き世 蝶瞰図』ビニールの巻

 寿司屋でお土産を頼む。「へい、お待ち」と渡されたのを家に帰って開けてみると、彩りまで考えて何とも縞麗に詰められている。西洋料理店でも中国料理店でもお持ち帰りはつまり食べ残しであって、ドギー・バッグなどと呼ばれている。建前からして犬にやるものであるなら、なるほど容器に入れる時にそれぽど気を使うことはないわけである。日本料理の、特に結婚式などに出るものは、かつてはその大半を折などに詰めて持って帰るものであったらしい。家では家族がその折詰めを待って遅くまで起きていた。それはともかく寿司の折や包みを見ると茶色い斑模様が印刷されていることがある。竹の皮の模様なのであるが、「この模様、何だと思う」と若い人に訊いたら答えられるだろうか。今では、竹の皮におにぎりや肉を包んだのを実際に見たことのない人の方が沢山いると思われる。工場で量産されるチマキなども緑色のビニールで包まれているけれど、それにちゃんと笹の葉の筋などが模造してある。「あれは、笹の葉に殺菌力があるからで……」などと知ったかぶりをすると、感心する人もいるし、そんなこと興味がない人もいるであろう。寿司の折の仕切りになっている、やはり緑の、ぎざぎざを付けたり、海老などの形に切ったりしたもののモデルは、葉蘭という植物で、かつてはどこの家の庭の隅にも植えられていた。もっとも、こういう話を書くと、「ろくな店に行ってないな」と一言われるだろう。今でも高級店ではビニールなんか使わない。
 眼鏡の縁や櫛の、焦げ茶と黄の斑模様のモデルはべっ甲、つまりタイマイという海亀の甲羅である。本物は獲りすぎて、取り引き禁止だという。養殖している国もあるらしいが、うっかり取引を再開させると天然の物も獲られるからと動物保護団体などは反対のようである。
 ピアノの鍵盤や判子のような、薄黄色昧を帯ぴた白のプラスチックのモデルは、もちろん象牙であるし、牛乳の中にチョコレートを流したような模様の元は大理石であろう。その他、ビニール製の鞄は蛇や鰐の皮、牛皮などに擬態しているが、その本家の方はもう忘れられようとしている。
 普通の家の天井板の、木目が見事に揃ったのなどは大抵、いわゆる銘木を薄く削って張ったものらしいし、床は合板である。水で濡れると剥がれてくる―――つまり私の家がそうなのであって、出来たばかりの時は、さっぱりしていると思ったが、今は見る影も無い。

 我々は安っぽいけれど仕方がないから、身のまわりの用品にビニールやプラスチックを使っていることが多い。出来たばかりの時はすっきりしていて綺麗なのだが、少し時が経つと薄汚くなったすり、ひぴ割れたりして棄てるしかないほどみすぼらしくなってしまう。
 それに対して、竹でも、むくの木材でも、象牙でも、皮でも、使い込むうちに光沢が出たり古色を帯ぴたりして、却って味わいのあるものになる。二十世紀中葉以降の文化がプラスチックのようなものでなければよいのだが。(埼玉大教授・フランス文学)

★★★

先生、薄く削った木材を張り付けたものはまだいい方です。
最近じゃ、塩ビや紙に印刷したものを張り付けてますよ。

それでも人間は日本人は木が好きなんですね。

だって、フェイクでも木目をプリントするのだから。

新木場 吉田商店


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材木は曲がる反るクサル。生き物だったから。
コピーペーストできない。同じ物がないから。
ダカラ ヲモシロイ。

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